氷砂糖のおみやげ  Por  arte de portada

氷砂糖のおみやげ

De: 夜学バー(東京・湯島)
  • Resumen

  • 「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」 「でも氷砂糖は、おいしくて、すてき。」 「でもとりすぎには要注意。」 「このポッドキャストは、生まれてこのかた氷砂糖を手放したことのない二人が、ちいさい気持ちでたくさんのことを考えてみる放送です。」 東京・湯島に実在するお店「夜学バー」から、店主の尾崎昂臣(通称:ジャッキーさん)と、お客さんのぷにょがいつも通りお話をしています。 毎週月曜日15時に配信。数日続けて配信されることもあります。
    夜学バー(東京・湯島)
    Más Menos
activate_primeday_promo_in_buybox_DT
Episodios
  • #074 世代・年齢・時間⑤ 引き算で生きる――強者でも弱者でもない「無印の者(しゃ)」として
    Jul 22 2024
    色々ありまして(便利な言葉)……具体的にはジャッキーさんに心身と時間の余裕がなかったゆえ、ものすごく間が空いてしまいました。申し訳ありません。今回もおもしろいのでお許しください! 山梨の山中にて静養しつつ編集いたしました。 ……収録が3月なのでもし違和感あったらごめんなさい~。 【目次】 ○弱者が強者に転じる循環について ・時代が流れ、ルールが変わることで弱者が強者になる ・柔軟な「86年の高校生」が強者に転じた? ・りりちゃんも関係ある? ・そのような循環は歴史上くり返されてきた ・ユダヤ人、芸能界…… ・その芸能界もついにひっくり返される時が? ジャニーズ帝国の崩壊、松本人志の活動休止…… ・権威はいつか失墜する ・この「下剋上の歴史」をいつまでくり返すのか? ○ゆる弱者ラジオ ・これ聴いてるのは「強者になろうという気はない人たち」? ・氷砂糖のふたりも、あまり強者になろうとは思っていない ・弱者でも強者でもない、中者? ただの者? ・何者でもないけど「自分」であり続ける感じ? ・ぷにょさんは「見つかりたくない」 ・注目されるとちょっとのミスもつつかれる ・ジャッキーさんは「バズりたい」が、「売れたくもない」 ・叩いたらどれだけ埃が出てくるか! ・「埃の重りで夜学バー潰れますよ」「キャンセルされますよ」 ・人間には、人様には見せられない、陰の部分がある ・こっそりやれば「面白いね」で済んでたことも……もちろん「地上波」では流せないけど、特別な、楽しいこと ・「どこに出しても恥ずかしくないもの」しか許されないのは、おもんない ○こっそりと、対等に ・だからYouTubeとかではなく「10人も入れないような小さなお店」で言論の自由を謳歌しているのだ ・知能が高いっていうことは、意地が悪いってことでもある? カラスの例 ・強者になればなるほど「こっそり」を失っていく ・巨大化すると当たり判定も大きくなる ・松本人志さんの件も、「弱者男性」だったら「しょうがないわね」で許されたのだろうか? ・「対等な関係が結べないということは、すごいリスクですよね」 ・対等じゃないってことは、ルールが変われば逆転しうるということ ・力を持つと自動的に「対等」ではなくなる ・爆笑問題の太田光さんや杉村太蔵さんは、「いかに権威的にならないか」を徹底している ○ナンチャンの何がすごいか――引き算の芸 ・ウッチャンナンチャンも「いかに権力を握らないか、握っているように見えないか」に腐心していると思う ・太田さんの「恐妻家」キャラや、光代さんの存在がバランスを取っているのではないか ・(むしろいずれ光代さんが大炎上する可能性のほうが想像しやすい) ・「ちょっとバカにされておく」という戦法 ・みんなナンチャンの凄さにまったくピンときていない そこがすごい ・「剣の達人は剣を持たない」を体現している ・90年代前半はナンチャンがものすごく前に出ていたが、だんだん洗練されて「面白いことをしないし言わなくても、なんだか良い」と無意識に感じさせるようにしているのではないだろうか ・ドラマ『不適切にもほどがある!』における八嶋智人さんのようなもの ・いてもいなくてもいいように思えるが、実はいないと成立しない ・存在感がない人間は替えが効かない ・タモリさんもそういう存在だったのかも ・「タモリって面白くないよね」と思われていた90年代 ・2000年代以降から「実はタモリってすごいよね」になっていったと思う(クイック・ジャパンのタモリ特集が2002年) ・「気配を消す」ことが一番の芸 ・引き算の、日本的な芸能(ナンチャンが狂言や落語などをやっていることも関係するかも) ・「本当のこと」という透明な感じのものを見つめていると、だんだん「引く」ほうに興味がいくようになるのでは? ○夜学バーにおける「引き算の美学」 ・なぜ夜学バーが「強者になりたがらない人たちにとってかけがえのない場所(自称)」でありつづけられるのか? まずは店主が「べらべらぐいぐい喋らない」ということがある お客さんが「何かしなきゃ」という気持...
    Más Menos
    38 m
  • #073 世代・年齢・時間④ 強者と弱者が反転する/柔軟性と既得権(『不適切にもほどがある!』を例に)
    Apr 29 2024

    【目次】

    ○前回は「卒業と再会、そして時間とは何か」だった

    ・最近はそういうの(世代間ギャップ)が流行っている?

    ・宮藤官九郎・作『不適切にもほどがある!』

    ・クドカンにパクられた!(詳しくはここで語っておりませんが、ジャッキーさんが16歳の時に書いて上演したお芝居『少年三遷史』がものすごく画期的なタイムスリップものだった、というお話です。くわしくはまたいつか……

    ・今日のお茶は


    ○ドラマ『不適切にもほどがある』

    ・簡単なあらすじ

    ・阿部サダヲ演じる主人公は昭和61年時点で50歳くらい、すなわち戦前生まれ→38年後(令和6年)にタイムスリップ

    ・いろんな人が昭和と令和を行き来するお話

    ・昭和と令和のギャップがギャグであり物語のキーになっている


    ○ぷにょさんの考えたこと

    ・昭和のスケバン純子は未来に行って、希望を持つ

    ・スケバンをあっさりやめて青学を目指して勉強を始める

    ・対照的に、マッチ(近藤真彦)に憧れるムッチ先輩はスタイルを変えない(この時点では放送されていなかった最終回ではスタイルを変えていた!)

    ・ジャッキーさんの視点:時代の流行に流される女として描かれていると思っていたが、実は自分の意志で未来をつかみ取れる人間であるということがわかった


    ○前回の話につながる

    ・ムッチ先輩へのあこがれ=「同化」の願望から、純子は卒業していく その時に「もう知らない、さよなら」ではなく「かっこいいっす」と表現している

    ・令和に希望を持つ昭和の女子と、昭和を面白がる令和の男子

    ・容赦なく変わっていく環境に順応せざるを得ない

    ・純子は常に「わたしは間違っているんじゃないか」という視点を持っている?ので、変わっていくことに抵抗がない 昭和の女性の立場が弱かったことに関係がありそう

    ・いっぽう昭和の男性は「男たるもの」という確固たる価値観(自己肯定の方法)があり、自分が間違っているとは思いにくい

    ・環境がガラリと変わったときに、食物連鎖の頂上にいた生物が絶滅したりする

    ・弱者たる女は「察知してふるまいを変える」ということを自然にできるが、男は強者だからこそそれができない

    ・純子とムッチ先輩の対比はそれを描いているのではないか

    ・1986年は男女雇用機会均等法が施行

    ・じっさいムッチ先輩は逃げ切れる世代なのかもしれない(生きていればいま60歳前後?)

    ・ムッチ先輩は彦摩呂になってしまう

    ・「変わらない」を選んだ(柔軟性がない)ゆえ、彦摩呂になってしまうのではないか?(最終回では、柔軟性があった?ことがわかるので、彦摩呂を回避できたかもしれない)

    ・「空気読まなきゃ」と思っている(弱い立場の)人たちこそが新しい時代を創っていく


    ○強者と弱者の逆転、循環

    ・強者たちはいずれ弱者に転落する

    ・いじめられている昭和の「おじさん」たち

    ・弱者であったはずの純子のような少女が「青学」(強者側)を目指す、いっぽう強者であった男たちは「アップデート」を求められる

    ・「バカだから流行に乗っている」のか「時代の波に乗れる柔軟性がある」なのか

    ・ジャッキーさん「ドラマの話しに終始してしまいましたが、普遍的なことがいま出てきて、僕はとても知的に面白い、興奮していますわ」遠心的!

    ・革命は弱者が起こす

    ・しかし、落ちていく強者を「ざまあ」と見下しては、不幸がくり返されるだけ

    ・弱者、強者という考え方じゃないところに持っていかなきゃいけない(ジャッキーさんふうにいえば、数値化できるようなものの考え方はよくない)


    ○次回予告

    ・どこかへ飛んでいきましょう

    Más Menos
    34 m
  • #072 世代・年齢・時間③ ピーター・パンにならないために/すべてを引き連れて年をとっていく
    Apr 22 2024
    【目次】 ○「ピーター・パン」とジャッキーさんの関わり ・ジャッキーさんの歴史 小4で「陰キャ」から覚醒し、小5でピーター・パンを演じる ・「このままでは地位が低いままなので、明るい人間になろう」 ・自認が9歳なのは、「覚醒前の状態」がベースだから ・「服」ができたのが17歳くらい ・覚醒後、1年で学芸会の主役、2年で小学校のスターに ・演じることによってピーターがインストールされてしまった(たぶん11歳になる誕生日の前後)←本編では10歳と言ってしまっております ・小説版の『ピーター・アンド・ウェンディ』が好き。おすすめは偕成社文庫の芹生一訳 ・卒論もこの作品で書きました ○ピーター・パンという概念について ・ウェンディは大人になるが、ピーターは大人にならない ・おばあちゃんの代からずっと「いる」存在 ・自分はそういうふうなのかな、と思うこともある みんなから「卒業」されていく存在かと思った時期もある ・でもジャッキーさんは成長する「人間」なので、そうではない ・「子供の時にだけあなたに訪れる」は好きじゃない ・『雪渡り』は好きなのだが ・「小さいころは神様がいて」も同じ? ・「大人になっても奇蹟は起こるよ」→じゃあいい歌だね ・「あの曲のこざかしいところは」「小さい時の気持ちを人質にとって」 ・夜学バーに来たらもっとひどいことがたくさん聞ける(かも) ・「大人になったら忘れてしまうよね」は嫌いなのだ ・大人になっ「ても」というところに引っかかってしまう ・今、素敵な気持ちを持ってくださいって僕は思うんです!(誰に言ってんだろうね) ・傲慢で不親切なジャッキーさん ・年をとるピーターでいたい ・小沢健二さんも「僕は年をとるので」と言っていた(邪悪は年をとらない) 「本当に誕生するのはパパとママのほうで 少年と少女の存在はベイビーたちが続けていくよ」(小沢健二『涙は透明な血なのか?(サメが来ないうちに』) ・邪悪は若い女の人の肉体に宿る ・少年と少女という概念はベイビーたちが引き継いでいく ・「出番を終えた若い詩人たちがリハーサルを終えて出てくる」 ・ピーター・パンという概念は続いていく ・年をとりながらも、その概念の片棒は担ぎたい ・年をとりたくない、とかアンチエイジングに命かけるということではなく、ともあれニコニコしていたい ・自分がピーター・パンでしかないならば、「再会」ができない ○『ピーター・パンとウェンディ』について ・ピーターが大人にならないから好き、というわけでは全くない ・ともかく面白い、とりわけ序盤の語り口がすさまじい ・ぷにょさんも言葉づかいや言い回しに感動した ・「こんな言葉浴びたことない」 ・なんとなくショタコンになった気はするけど ・ピーターパンという存在に憧れたわけではない ・大人になりたくないと思ったこともたぶんない ・一度出会った友達と二度と会えないのはイヤだ ・ピーターは、概念としての子供たちと遊んでいるだけで、同じ子供と遊ぶことはない(あったとしても忘れている) ・ピーター・パンになるのは寂しい さよならだけの人生 ・再会できる人間になりたい ・ウェンディと遊べないのは耐えられない ・ジャッキーさんの元同僚たちの話…… ・新鮮さを求めているようで、同じものを享受しているだけ ○ピーター・パンにならないために ・「再会」を前提に人と付き合っていたい ・そのためにはピーター・パンになってはいけない ・ピーター型だと誤解されがちな人間 ジャッキーさんも、小沢健二さんも? ・「過ぎたことにしない」という姿勢 ・うしろを振り返らないで、前ばかりを見ていると ・見える角度が広がっていく ・おばあさんにも見えるし、少女にも見えるような人 ・すべてを引き連れて年をとっていく ・きれいにたたんでたんすにしまう ・同時に取り出せる ・ジャッキーさんの好きな老婆 ・金沢の「純喫茶ローレンス」 ・わたしは年老いた森の小りす ・「年老いた」と「小りす」は同時にありうる! ・都会だけど森の小りす、というのもとてもいい ・その極致は楳図かずお先生 存在自体が...
    Más Menos
    44 m

Lo que los oyentes dicen sobre 氷砂糖のおみやげ

Calificaciones medias de los clientes

Reseñas - Selecciona las pestañas a continuación para cambiar el origen de las reseñas.