• yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

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yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ  Por  arte de portada

yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

De: TOKYO FM
  • Resumen

  • 風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。 誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。 YESとNOの狭間で。 今週、あなたは、自分に言いましたか? YES!ささやかに、小文字で、yes!明日への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語をお聴きください。
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Episodios
  • 第461話『許すことを知る』-【今年メモリアルなレジェンド篇】元南アフリカ共和国大統領 ネルソン・マンデラ-
    Jun 29 2024
    南アフリカ共和国、初の黒人大統領になったレジェンドがいます。
    ネルソン・マンデラ。
    マンデラは、2013年に95歳でこの世を去っていますが、今年は、彼が大統領になってから、30年。
    人種差別に正面から挑んだ闘士の功績と魂は、今も国内はもちろん世界中に影響を与え続けています。
    彼の人生は、まさしく闘いの歴史。
    アパルトヘイトという厳しく理不尽な人種差別政策と闘った代償は大きく、彼は国家反逆罪で、ロベン島の監獄に収監。
    27年もの間、過酷な刑務所で過ごしたのです。
    狭い独房と、激烈な労働。
    塀の中でも肌の色に対する差別がまかりとおっていました。
    白人の囚人と、食事や服が違う、本は読めない、規律自体に大きな差があったのです。
    ここでも、マンデラは闘います。
    ただ、そのときにとった彼の態度は、攻撃的とは真逆。
    白人の刑務官たちに、ひたすら丁寧に冷静に訴え続けたのです。
    若い時期は、暴力には暴力、という考えで、むしろ過激な行動もいとわなかったマンデラ。
    でも、そこに解決の糸口は見つからない、むしろ、怨みは怨み、憎しみは憎しみを呼び、負の連鎖が止まらないことを知りました。
    1990年、72歳のときに釈放された彼は、圧倒的な支持を得て、4年後に大統領に選ばれます。
    クリント・イーストウッドが監督した実話をもとにした映画『インビクタス/負けざる者たち』では、そんな大統領就任後 間もないマンデラの姿が描かれています。
    マンデラを演じるのは、名優モーガン・フリーマン。
    1995年に南アフリカで開催されたラグビーワールドカップ。
    当時の南アフリカにおけるラグビーは、白人のスポーツ。
    アパルトヘイトの代名詞でした。
    それまでの金色と緑色のジャージや、愛称「スプリングボクス」を変更すべきという黒人たちの意見に、マンデラは反対します。
    「それでは、白人の怨みを買ってしまう。
    まわりを変えたいときは、まず自分が変わることだ。
    怒りや憎しみを消して、許す。
    そうすれば、南アフリカがひとつになる!」
    全世界に差別撤廃を訴えた英雄、ネルソン・マンデラが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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    14 m
  • 第460話『子どもの頃の夢を実現する』-【今年メモリアルなレジェンド篇】映画監督 フランソワ・トリュフォー-
    Jun 22 2024
    今年、没後40年を迎える、フランス・ヌーヴェル・ヴァーグを代表する映画監督がいます。
    フランソワ・トリュフォー。
    27歳のときに初めて撮った長編映画『大人は判ってくれない』は、いきなりカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞。
    世界中から賞賛を浴び、興行的にも大ヒットを記録します。
    原題は、直訳すれば「400回の殴打、打撃」。
    フランスの慣用句に照らし合わせれば、「分別のない、放埓(ほうらつ)な生き方」というタイトルのこの映画は、12歳の少年、アントワーヌが、母親に愛されず、孤独な毎日の果てに、事件を起こし、鑑別所送りになるという物語。
    これは、ほぼ、トリュフォーの実話と言われています。

    幼い頃から親の愛を知らずに育ったトリュフォーにとって、唯一のやすらぎは、自宅で読むバルザックと、暗闇の中で観る映画でした。
    特に映画を観ている間だけは、自分は何者にもなれた。
    今とは違う境遇、人生を、生きることができた。
    でも、ひとたび映画館の重い扉を開けて外に出れば、落第して学校をやめた自分、両親に愛されていない自分に向き合わなければなりませんでした。
    いちばん愛してほしかった母には、いつも厳しくされ、存在自体をうとましく思われていることに気がついてしまったのです。
    ただ、美しい母が好きでした。
    特に、母の長くてすらっとした脚に魅了されました。
    トリュフォーの映画には、ローアングルの女性のスカートや脚のカットがよく出てきますが、そこに彼の幼い日の憧憬が残されているのかもしれません。
    ジャン・リュック・ゴダールを筆頭に、フランス・ヌーヴェル・ヴァーグの映画監督たちが、哲学性や文学性を重んじながら、難解になっていくのに対し、トリュフォーは、何気ない日常を淡々と描きながら、ゆっくりと普遍に近づくというスタンスを、生涯、貫きました。
    彼にとって映画とは、孤独だった少年時代の自分が観て、救われるものでなくてはならなかったのです。
    自分を救ってくれた映画への恩返しを、命を賭けて作品にしたレジェンド、フランソワ・トリュフォーが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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    12 m
  • 第459話『精一杯、生きる』-【今年メモリアルなレジェンド篇】弁護士 三淵嘉子-
    Jun 15 2024
    NHK朝の連続テレビ小説の主人公のモデルといわれる、日本初の女性弁護士がいます。
    三淵嘉子(みぶち・よしこ)。
    今年、生誕110年、没後40年を迎える三淵は、法曹界にまだ女性の登用がなかった時代に、果敢に挑戦を試み、弁護士を皮切りに、女性初の判事、女性初の家庭裁判所長の座につきました。
    彼女は、新聞記者やインタビュアーから、「三淵さんが法曹界にうってでるのは、女性の味方になりたいからですか?」と聞かれるのを嫌がりました。
    「わたくしは、女性のためとか男性のためとか、そういうことを考えたことはありません。
    あえて言うのであれば、か弱きものの力になれたらという思いで、法律家を志したのであります」
    その発言のとおり、彼女は後年、家庭裁判所の設置に尽力し、裁判長に就任。
    およそ16年間にわたり、のべ5000人以上の少年少女の更生に命を捧げました。
    判決を言い渡す際の、三淵の、子どもたちに向けた言葉は、愛情と優しさにあふれ、傍聴人はもとより、裁きを受ける少年少女たちも号泣したと言います。
    「あなたたちは、好き好んで、そういう環境に育ったわけではありません。
    ですが、負けてはいけません。環境のせいにしてはいけません。
    あなたたちが陽の光のほうに歩きさえすれば、必ず、手を差し伸べてくれるひとが現れるのです。
    だから、どうか、絶望しないで。
    どうか、明日を見捨てないでください」

    1933年、昭和8年、弁護士法が改正され、女性にも弁護士の資格が認められるようになりましたが、女性に門戸を開いた大学は、ほとんどありませんでした。
    旧帝大では、東北大学と九州大学のみ。
    選科生などの扱いを除けば、東京で唯一女性弁護士への扉を開いたのは、明治大学だけでした。
    その狭き門にあえて挑んだ三淵には、心に決めたある思いがあったのです。
    それは「自分のたった一回の人生を、精一杯、生きる」。
    シンプルで力強いその思いは、終生、変わることはありませんでした。
    想像を絶する壁に挑んだ、法曹界のレジェンド、三淵嘉子が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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    11 m

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