• yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

  • By: TOKYO FM
  • Podcast

yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ  By  cover art

yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

By: TOKYO FM
  • Summary

  • 風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。 誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。 YESとNOの狭間で。 今週、あなたは、自分に言いましたか? YES!ささやかに、小文字で、yes!明日への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語をお聴きください。
    Copyright(c) 2024 TOKYO FM Broadcasting Co.,Ltd. All Rights Reserved.
    Show more Show less
activate_primeday_promo_in_buybox_DT
Episodes
  • 第460話『子どもの頃の夢を実現する』-【今年メモリアルなレジェンド篇】映画監督 フランソワ・トリュフォー-
    Jun 22 2024
    今年、没後40年を迎える、フランス・ヌーヴェル・ヴァーグを代表する映画監督がいます。
    フランソワ・トリュフォー。
    27歳のときに初めて撮った長編映画『大人は判ってくれない』は、いきなりカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞。
    世界中から賞賛を浴び、興行的にも大ヒットを記録します。
    原題は、直訳すれば「400回の殴打、打撃」。
    フランスの慣用句に照らし合わせれば、「分別のない、放埓(ほうらつ)な生き方」というタイトルのこの映画は、12歳の少年、アントワーヌが、母親に愛されず、孤独な毎日の果てに、事件を起こし、鑑別所送りになるという物語。
    これは、ほぼ、トリュフォーの実話と言われています。

    幼い頃から親の愛を知らずに育ったトリュフォーにとって、唯一のやすらぎは、自宅で読むバルザックと、暗闇の中で観る映画でした。
    特に映画を観ている間だけは、自分は何者にもなれた。
    今とは違う境遇、人生を、生きることができた。
    でも、ひとたび映画館の重い扉を開けて外に出れば、落第して学校をやめた自分、両親に愛されていない自分に向き合わなければなりませんでした。
    いちばん愛してほしかった母には、いつも厳しくされ、存在自体をうとましく思われていることに気がついてしまったのです。
    ただ、美しい母が好きでした。
    特に、母の長くてすらっとした脚に魅了されました。
    トリュフォーの映画には、ローアングルの女性のスカートや脚のカットがよく出てきますが、そこに彼の幼い日の憧憬が残されているのかもしれません。
    ジャン・リュック・ゴダールを筆頭に、フランス・ヌーヴェル・ヴァーグの映画監督たちが、哲学性や文学性を重んじながら、難解になっていくのに対し、トリュフォーは、何気ない日常を淡々と描きながら、ゆっくりと普遍に近づくというスタンスを、生涯、貫きました。
    彼にとって映画とは、孤独だった少年時代の自分が観て、救われるものでなくてはならなかったのです。
    自分を救ってくれた映画への恩返しを、命を賭けて作品にしたレジェンド、フランソワ・トリュフォーが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
    Show more Show less
    12 mins
  • 第459話『精一杯、生きる』-【今年メモリアルなレジェンド篇】弁護士 三淵嘉子-
    Jun 15 2024
    NHK朝の連続テレビ小説の主人公のモデルといわれる、日本初の女性弁護士がいます。
    三淵嘉子(みぶち・よしこ)。
    今年、生誕110年、没後40年を迎える三淵は、法曹界にまだ女性の登用がなかった時代に、果敢に挑戦を試み、弁護士を皮切りに、女性初の判事、女性初の家庭裁判所長の座につきました。
    彼女は、新聞記者やインタビュアーから、「三淵さんが法曹界にうってでるのは、女性の味方になりたいからですか?」と聞かれるのを嫌がりました。
    「わたくしは、女性のためとか男性のためとか、そういうことを考えたことはありません。
    あえて言うのであれば、か弱きものの力になれたらという思いで、法律家を志したのであります」
    その発言のとおり、彼女は後年、家庭裁判所の設置に尽力し、裁判長に就任。
    およそ16年間にわたり、のべ5000人以上の少年少女の更生に命を捧げました。
    判決を言い渡す際の、三淵の、子どもたちに向けた言葉は、愛情と優しさにあふれ、傍聴人はもとより、裁きを受ける少年少女たちも号泣したと言います。
    「あなたたちは、好き好んで、そういう環境に育ったわけではありません。
    ですが、負けてはいけません。環境のせいにしてはいけません。
    あなたたちが陽の光のほうに歩きさえすれば、必ず、手を差し伸べてくれるひとが現れるのです。
    だから、どうか、絶望しないで。
    どうか、明日を見捨てないでください」

    1933年、昭和8年、弁護士法が改正され、女性にも弁護士の資格が認められるようになりましたが、女性に門戸を開いた大学は、ほとんどありませんでした。
    旧帝大では、東北大学と九州大学のみ。
    選科生などの扱いを除けば、東京で唯一女性弁護士への扉を開いたのは、明治大学だけでした。
    その狭き門にあえて挑んだ三淵には、心に決めたある思いがあったのです。
    それは「自分のたった一回の人生を、精一杯、生きる」。
    シンプルで力強いその思いは、終生、変わることはありませんでした。
    想像を絶する壁に挑んだ、法曹界のレジェンド、三淵嘉子が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
    Show more Show less
    11 mins
  • 第458話『自分の羽根を打ち返す』-【今年メモリアルなレジェンド篇】小説家 庄野潤三-
    Jun 8 2024
    今年没後15年を迎える、今も多くのファンに読み継がれる、芥川賞作家がいます。
    庄野潤三(しょうの・じゅんぞう)。
    庄野は、昭和20年代後半に文壇に登場した小説家たち、『第三の新人』のひとりに名を連ねています。
    第一次戦後派、第二次戦後派の作家たちは、自らの戦争体験を糧に、徹底したリアリズムで極限状態の人間を残酷なまでに描きました。
    それに対抗するかのように、『第三の新人』たちは、私小説の復活、短編小説の復興を軸に、身の回りで起こる、半径3メートルの出来事に注目しました。
    中でも庄野潤三は、同じ『第三の新人』の吉行淳之介や小島信夫と違い、家族の破綻や日常の退屈、ブラックユーモアではなく、日々の暮らしの中の、何気ない優しさや切なさに光を当てたのです。
    40歳を過ぎた頃、庄野は、神奈川県川崎市の生田、多摩丘陵の丘の上に、平屋の一軒家を建て、家族と移り住み、「山の上の家」と呼ばれたその家で、半世紀近く、家族とのささやかな思い出や、庭に咲いた花や木々の成長を、小説や随筆にしたためました。

    神奈川にゆかりのあるこの作家の記念展が、本日6月8日より8月4日まで、県立神奈川近代文学館で開催されています。
    『没後15年 庄野潤三展――生きていることは、やっぱり懐しいことだな!』。
    この展覧会は、庄野の88年の生涯の軌跡はもちろん、彼の家族との写真や直筆の原稿やスケッチ、アメリカ留学中のノートなど、数多くの貴重な品々が展示されています。
    そこから浮かび上がるのは、彼がストイックなまでにこだわった、「文学は人間記録、ヒューマンドキュメントである」という信念。
    人間の根本に潜む「切なさ」と、生きていることの「懐かしさ」が深い感動を持って迫ってきます。
    彼には生涯守り続けた、ある流儀がありました。
    それは、「自分の羽根を打ち返す」。
    混迷を極める今こそ読まれるべき、唯一無二の作家、庄野潤三が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
    Show more Show less
    13 mins

What listeners say about yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

Average customer ratings

Reviews - Please select the tabs below to change the source of reviews.